空き時間に読める啓示の物語

KGとUki

私たち夫婦は、2021年に結婚して、

熊本県の阿蘇山の麓、高森町という所で暮らしています。

現在は共働きという形ですが、

社会システムやお金に依存しすぎず、

”食”をはじめとした暮らしにおける「自給力アップ」による

「持続可能な暮らし」

を目指して、日々ブログやSNSを通じて

実践と発信をしながら、楽しく充実した暮らしを送っています。

もともとは夫:啓示が京都から阿蘇へ移住したことがすべての始まりですが、

現在のような日々に至るまでには、色んな道のりがありました。

今でこそ毎日笑って楽しい毎日を送ることができていますが、

しんどい期間や苦しい時期も経験してきたからこそ、今があります。

もしあなたが今、

「やりたいことがあるけど、一歩踏み出せない」

「現状を変えて、もっと自分の人生を生きたい」

と思っているなら、ぜひ読んでみてください。

あなたの「やりたい、変えたい」は「やれる、変えれる」に変わります。

「なんとなく大学生活を過ごして、時が来たら就職。これでいいのかな?」

僕は生まれも育ちも京都で、大学を卒業するまでの23年間、

ずっと京都で過ごしてきました。

高校3年生までは、甲子園を目指して毎日野球に打ち込む、野球少年でした。

高校卒業後に進学した大学は、実家から通える京都の大学へ。

「これまで野球の世界しか知らなかったから、大学生になったら、色んな世界を見よう」

と思って、

サークルや音楽活動、アルバイト、ボランティアなど、

野球から離れたからこそ色んな場所、人達と出会うことができ、

充実した学生生活を送っていました。

しかし同時に、高校生になれば”進路”の話題が出るように、

大学生になると、”就職活動”の話題が日常に出始めます。

周りの友達も、

「就活にはこの資格があると有利」とか

「就活セミナーに参加する」とか、

「今のうちに遊んどかなきゃね~」とか、

日常の話題も就活の話をするようになってきて、

僕は違和感を覚えるようになりました。

「なぜみんな、”大学生の後は社会人になる”と思っているんだろう?」

当たり前のように”敷かれたレールを進む”周囲の流れが、なんとなく居心地が悪くて。

とはいえ、僕も将来やりたいことが決まっていたわけでもなく、

「大学卒業後はどこかに就職しないとな」位に考えていたので、

違和感を感じつつも、大学1,2年はそれなりの時間を過ごしていました。

そんな中2年生の春休みに、「学生の間にいろんな場所を見てみたい」と思い、

”ワークキャンプ”と呼ばれる合宿型のボランティアを主催する国際ボランティアNGOを通して、

タイ東北部のルーイという所へ行きました。

1週間ほどの滞在でしたが、その期間が僕にとって大きなきっかけになります。

それまでは日本と比べて”後進国”と思っていたタイでしたが、

田舎の素朴な風景の中に、仏教に根差した人々の暮らし、

空気感、風土、におい、音、

そして何より、出会った同世代のメンバーも、

村で会ったおじいちゃんもおばあちゃんも、

みんなゆったりとした時間の中で、いつも笑っていて。

とにかくよく話すし、よく笑う。朝5時ごろから起きてみんな喋って談笑している光景には驚きました。

ルーイでは毎朝明け方に、僧侶が村へ托鉢に周る。
村人は食べ物など自分のものを僧侶に分け与えることによって”徳”を積む。

一番衝撃的だったのは、みんな夢があること。

「映画監督になる!」「お金持ちになる!」「日本に住む!」

語る夢はそれぞれだけど、キラキラした目で、「本当に叶うんだ」と言わんばかりに語る

彼らの表情は、屈託のない、純粋な目と笑顔がとても印象的でした。

そんな同年代の彼らに比べて、自分はどうだろう?

「夢ってなんだろうか?」

日本帰国時の決意「このままではまずい」

興奮気味にタイから帰国した平日の朝、帰宅する電車に乗り込んだ時、愕然としました。

「ここには色がない…」

同じような色のスーツを着て、うつむいた表情でケータイをいじるサラリーマンの人たち。

それ以外にも、なんとなく感じる将来への不安感や失望感がある車内。どんよりした感じ。

「タイではあんなにそれぞれの個性があって、毎日楽しそうで、

みんな好き好きに派手な装飾や服装もあって、”カラフルな雰囲気”があったのに…」

「タイの人たちは「日本はすごい」「日本で働きたい」と言ってくれていたのに…」

「僕は数年後、それなりに就職してサラリーマンになって、

疲れてうつむいて、朝になったら電車に揺られ会社に行く、

そんな生活を送っているんだろうか…」

そう思うと怖くなって。

「こんな中途半端な気持ちで就活するくらいなら、

学生生活を存分に使って、ちゃんと生きたい方向を見つけよう。

もっといろんな世界に触れて、自分の事も世界のことも知りたい」

翌年の春、僕は大学を1年休学して、

アジア、中東、アフリカ、南米へバックパッカー旅へ出ました。

いわゆる「自分探し」というやつです。

「何がしたいか」より、「どこで暮らすか」

旅の一年はとても濃いもので、

アジア(モンゴル、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、シンガポール、スリランカ、ブータン)

中東(トルコ、UAE)

アフリカ(ケニア、マダガスカル、南アフリカ、ナミビア)

南米(アルゼンチン、チリ、ボリビア、ペルー)

を周り、色んな世界に触れたし、色んな人たちの文化や人生も垣間見ることができました。

旅のゴールに決めていたイースター島に着いたときは、感無量でした。

そして帰国後復学して、残された学生期間は1年となり、

いよいよ本当に卒業後のことを考える必要が出てきて。

旅を通してなんとなく出てきた興味で就活をしてみましたが、

なかなかうまくいきません。なぜなら、

どれも”心からやりたい”と思えないから。

田舎で農業?

都会で旅行会社?

それとも給料重視?

旅は色んなことを教えてくれましたが、1年間で一番感じたことは、

「場所が変われば、正解も変わる」ということ。

日本では当たり前とされている事でも、

別の国では非常識だったり、有り得なかったりする。

その逆もあって、

非常識に思える事でも、そこでは正解だったりして。

「あ、正解はないんだ」と思ったんですね。

逆に言えば、

「すべてが正解」とも言える。

色んな世界の”正解”を見てきたことによって視野が広がった分、

収拾がつかなくなっていました。

「あれも正しいし、これも正しい」。

就活になると

どの道を進んでも間違いではない事はわかっているけど、

どれかを選べばほかの道が絶たれる、

そんな感覚にもなっていて。

何にでもなれる気がするけど、何者かになればほかの何者にはなれない。

堂々巡りの日々でした。

そこで考え方を変えることに。

「やりたいことよりも、まず自分はどこで暮らしたいのかな?」

旅を通して自分と対話し続けて感じたこととして、

気づけばその国の歴史や文化が今も残る田舎や山岳地帯だったり、

穏やかな雰囲気や落ち着く場所、町ばかり行っていたことに気づいて、

「自分は都会よりも自然の多い田舎で穏やかな生活がしたい」

と思うようになっていました。

そして当時は2015年、

2011年の東北大震災と原子力発電所の事故を機に、

「田舎へ移住」の動きが活発化していた時でした。

「何をするかも大事だけど、何をするにも拠点は田舎にしたい」

「田舎で暮らして、食べ物を育てられたり、工具を使えたりして、衣食住に関わるスキルや自給力を上げたい」

それが一番強い思いになっていきました。

でも何をして生活するの?

「いやいやでも、自分の立場は現状、就活生。

まだ社会人にもなったことがない学生が、

田舎で生活する、というのはどうなんやろう?」

当時就活をしていく中で、面接の時などに

「あなたの強みは何ですか?」とか

「あなたはこの会社にどう貢献できますか?」

という問われることが多かったため、

「自分はこれができます!」と言えるスキルは何なのか、

ずっと考えていた時期でした。

田舎で生活するということは、それなりに

自分のスキルがある上で成立することであって、

まだ何もできない、何ができるか分かっていない22歳の自分がそこへ飛び込むのはどうなんだろうか?

”田舎暮らし”というキーワードが頭にあり、

”Turns”や”ソトコト”など移住雑誌を眺めては、

「自分にこんなことができるのかな?」と考える日々でした。

地方専門の求人サイトを漁り、「ここはどうかな」と思ったところがあっても、

待遇や内容を見てその先のことを想像してしまう。

「もし、変な会社だったらどうしよう」とか、

「この仕事は本当にやりたい内容なのか?」とか、

「大卒でこの仕事はどうなのか」とか、

”応募”をクリックする前に不安がよぎってきて、

結局「ひとまず置いておいて後で考えよう」という流れを繰り返し、

なにも前に進まないまま、大学を卒業しました。

大卒ニート。突然の誘い「熊本へ行かないか?」

大学を卒業した後は、仕事が決まればすぐ働けるように、続けていたアルバイトも辞め、

既卒生として仕事探しの日々が続きました。

身もふたもない表現をすれば、

「仕事は探しているけど、平日も週末も家で過ごしている、ニート状態」でした。

そんな風に過ごしていた矢先、熊本で大きな地震が起こりました。

当時はテレビで”緊急地震速報”が流れ、僕は熊本の様子をテレビで見ているだけでした。

「熊本かあ、大変そうやけど遠いなあ」

その時はあまりなじみがない場所だったこともあり、他人事の様でした。

そして来年度の仕事が一社内定し、一息ついたころ。

あくまでそこは来年度採用ということで、約1年間の時間ができていました。

すぐに働きたかった僕は、ぼちぼちと就活を続けていたところ、

衝撃的な体験をしたタイへ行くきっかけになった、

国際ボランティアNGOのお世話になった方から連絡がありました。

「元気?最近何してんの?

熊本地震の復興支援で現地の臨時職員を募集してるんだけど、やらない?」

タイでの経験をきっかけにそのNGOに恩を感じていて、「何か返したい」とずっと思っていた僕には、

断る理由がありませんでした。二つ返事で「やります」と答えました。

6月から熊本へ入り、”被災地”と呼ばれる地域で、

がれきの撤去や引っ越しのお手伝い、農作業のお手伝い、

全国から来るボランティアさんのコーディネート、

企業のCSR活動の受け入れ、ワークキャンプの企画運営など

約半年間活動しました。

活動し始めて1か月ほど経ったころに、別のNPO団体の方から

「人手を求めている団体があるんだけど、行って話を聞いてみないか?」

と言われ、向かった先が

今、僕が住んでいる阿蘇でした。

幹線道路は復旧しておらず、峠道を越えていくしかない状況で、

峠を越えて少しずつ下り始めたころ、南阿蘇村の景色が見えた瞬間に衝撃が走ります。

「なんだこの天国みたいな場所は…!」

壮大な阿蘇山一帯の風景、カルデラ地形、

阿蘇山麓に広がる豊かな田園風景、穏やかな風、こんこんと湧き出る水…

「こんな場所初めて来た!」と感動しました。

「ここに住みたい」

そして半年間熊本にいるうち、毎日の食事で

阿蘇をはじめとする熊本の米、野菜、肉、魚の食材の豊富さ、生産量、おいしさ

に毎食感動しながら食べました。

「ここは食が豊かな土地だ。キレイな湧水があって、海も山も川もある。なんでもある!」

それに、半年間の活動で、熊本の復興は終わるわけではない。

ここで知り合った人たちも大好きだし、このご縁を大事にしたい。

「これで離れないといけないのは、あまりにも道半ばだ」

「できれば、復興していく様子を熊本で見届けたい」

気づけば、「ここに住みたい」と強く思うようになっていました。

しかし、しかしながら。

当時2016年、翌2017年の仕事はもう決まっている状態。

「熊本阿蘇に住みたいけれど、来年の仕事は決まっている…」

「熊本を離れたくないけれど、残ってもまた仕事を探さないといけない…」

今自分が感じているこの”衝動”に素直になるか。

それとも、一旦離れてみて、それでも住みたい思いがあればその時考えるか。

悩みに悩んだ結果、

僕は「いったん熊本を離れて考えよう」と決めました。

初めての就職、キツすぎた毎日

そうして後ろ髪を引かれる思いで熊本を離れ、

ワクワクよりも「どっちかというと行きたくないなあ」と思いつつ、

就職先として移った場所は、香川県の瀬戸内海の離島。

”現代アート”で有名なその島での仕事内容は、主に農業で、時々アート作品の運営や管理。

もともとは「給料をもらいながら農業ができる!」というのと、

「現代アート目的に外国人観光客もたくさん来る」ことを魅力に感じて入社しました。

しかし、

”会社員として農業をすること” は決して楽なものではなく、

天候にも左右され、予定が予定ではなくなるのが農業。

その日の状況次第で、フレキシブルに対応することが求められる中で、

会社員的な休み方はできませんでした。

雨の日、休みでも田んぼの様子を見に行く必要はあるし、そうこうしてると

スーパーもコンビニもない島に暮らして、休みを使って船に乗って買い出しに出ることもままならない。

それはそれで何とか楽しんでいた部分もあるのですが、

”会社と地元島民の方々との板挟み”に一番苦しみました。

会社が求めることと、現場で島民が求めることが相反している中で、間にいる自分。

どちらかの意見を優先させれば、どちらかから責められる。

「シフト通り休みをちゃんと取りなさい!」という会社と、

「なんでこの農繁期に休むんじゃ!」という農業を教えてくれる島の人たち。

その間にいるストレスは、なかなかきつかったですw

そんな毎日でした。

おかげで、精神的なストレスはかなりあって、1か月で10キロ体重が落ちました。

限界でした。

そんな中でも、熊本のことはずっと頭の中にあって。

「ここで長く働いても数年だろう。そんな苦しみながら中途半端に居るのは、

島にとっても自分にとってもいいことではない。

やっぱり熊本に住みたい。阿蘇に住みたい。自分の気持ちに正直になろう。

正直、やっとの思いで新卒入社した会社を、わずか1年で辞めるということには、葛藤がありました。

「1年やったぐらいで何がわかるんだ」

「3年くらいは続けてみないと何も分からないだろう」

「そうやってちょっとダメならまた次、次、次を繰り返すのか」

「逃げ癖がつくぞ」

自分の中のもう一人の自分が、色んなことを語りかけてくる。

それでも僕の心は、熊本に向いている。

あの景色が、環境が、人が、風土が。

「今の仕事で苦しんでいるのは、最初モヤモヤしつつもこちらを選んだからだろう」

「今までも、ピンときたものを選んだ結果は、うまくいくことが多かったし、

逆にモヤモヤしながら選んだものは、うまくいかないことが多かった」

誰が悪いわけでもない。

今の現実を選んだのは、自分自身。なら、

「自分の心がワクワクする方に従えば、自ずといい方向へいくはずだ!」

そう気づくと、考える余地はありません。

1年で会社を辞め、熊本へ本格的に移住することを決めました。

「不安はないといったらうそになる。

でもどうせ失敗するなら、やりたいことを選んで失敗する方がいい」

戻ってきた熊本、「やっぱりここだ」

覚悟を決める、肚を決めると不思議なもので、

仕事もすんなり見つかり、働かせていただくことができました。

しかも家も見つかり、阿蘇で仕事ができ、暮らせています。

今の仕事のメインは”薪ストーブの施工・販売”。

色んな住宅に携わり、住環境のことを考えたり、大工さんみたいなことをしたりと、

僕がずっと考えている「衣食住」の中の、「住」に当てはまります。

おかげでかなりDIY技術が上がり、家の構造なども理解できるようになってきました。

先日は自宅に屋根付きウッドデッキを作ったかと思えば、

古民家を買いDIYでリノベーションまで始めてしまいました。

数年前には「そんなん無理やろ」と思っていたことができています。

そう、当初の

「田舎で暮らして、食べ物を育てられたり、工具を使えたりして、

衣食住に関わるスキルや自給力を上げたい」

という想いが叶っているんです!

ここまできて感じるのは、「頭で考えたことよりも、心で感じたことが大事」だと思うんですね。

頭で考えて行動したことは、うまくいかないことが多いし、何よりツラくなる。

でも心で感じて行動したことは、物事がスムーズに動くし、軽い。

苦しんだ時期もありましたが、それがあったからこそ、

何が重要なのか、何が自分の指針になるのかをより実感することができました。

そして2021には、同じく田舎暮らしを志していたUKIと結婚し、

同じ方向を向いて進むパートナーができ、より一層目標に向かって進む力が増しました。

二人の想いから生まれた、ASOBOSHI。目指すは「遊暮働学」

一人から二人になった今、

鳥のさえずりが心地よく、住んだ空気がさわやかな朝を感じ、

穏やかなそよ風を浴び、太陽の暖かさを感じる昼を過ごし、

虫の音色、夜空や月、星の美しさに魅了される夜、

冬は薪ストーブの温かさに包まれる。

こういった感動を毎日味わいながら、共有し、

本当に大きな喜びと幸せを感じながら暮らすことができています。

そしてこういった暮らしを実現したい人はほかにもいるはずで、

・移住をしたい

・古民家を自分でリノベーションしてみたい

・自分の人生を生きたい

と考えている人の力になれればと、二人でASOBOSHIを立ち上げました。

もしあなたがこれまでのストーリーを読んで

「こんな風になりたい」とか

「こういうことを体験したい」とか

「何かピンときた」など感じていただけたのであれば、

最大限のサポートをさせていただきます。

そしてそんな私たち二人も、もっともっと

”持続可能な暮らし”を実現していくために、実践と発信、シェアを進めていきます。

そう、あなたと私たちは「”豊かな暮らしがしたい”と思う同じ仲間」なんです。

そのための窓口として、

ASOBOSHIはブログを更新し、

SNSなどで発信し続け、

イベントや企画などを運営していきます。

私たちが目指す”持続可能な暮らし”は、

今の混沌とした世の中、社会の中で、

「何があっても笑っていられる暮らし」

とも言い換えることができます。

過度に依存せず、自分たちで生産していく、自立していく暮らしというのは、

外の世界で何が起こっても、いつも通りの暮らしができると思うのです。

そして、最終的にたどり着きたいところを一言で表すと、

「遊暮働学」

になります。

遊びが暮らしになり、暮らし自体が遊びになる。

働くことが学びになり、暮らしになり、遊びになる。

つまり、遊びでやっていることが暮らしに直結して、それが仕事にもなり、学びにもなり、

「暮らし自体が仕事であり、遊びであり、学びである状態」の事です。

この状態、最高じゃないですか?

ただ生きているだけで、幸福度が上がりそうですよね。

というかそもそも、”幸福度”という言葉さえ要らなくなりそう!

私たちASOBOSHIは、そんな想いのもと、

今日も情報発信とシェアをしていき、

あなたのような同じ志の仲間とつながり、つなげていきます。

ではどうやって、あなたは実現すればいいのか

「とりあえず就職して3年経ったけど、この働き方・生活をいつまで続けるのか…」

「なんとなく、今自分の人生を生きていない感じがする…」

「本当にやりたいことを見つけたい!」

そう感じているなら、おめでとうございます。

気づいた時点で、それはその先へ進む第一歩です。

そんな方が、自分と向き合って本当に望んでいるものを思い出し行動することで、

「毎日やりたいことがたくさんあって楽しい!」

「誰にも左右されず、自分の人生を生きている」

「身軽に軽やかに、行動できるようになった」

と言えるようになるために、メルマガ講座をご案内しています。

何事も「変化」を実現させるためには、小さな行動から始まります。

行動もなしに、「人生を激変させた」「生きたい人生を生きている」人はいませんね。

どれだけ知識を学んでも、それを実行できなければ意味がありません。

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